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仙台高等裁判所 昭和31年(ネ)273号 判決

控訴人(原告) 大橋正吉

被控訴人(被告) 白河市

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し金十九万五千七百三十七円四十銭を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、被控訴代理人に於て「控訴人は昭和二十八年十一月二十一日乙第三号証の解決書により、被控訴人に対し控訴人主張の本件俸給を要求しない旨の意思表示をしたが、右意思表示を以て仮りに右俸給請求権を抛棄するの趣旨でないとしても、右俸給を被控訴人に対し贈与する旨の意思表示であるというべきであり且つ右意思表示は書面によるものであるから、控訴人に於て之を取り消すことはできない。控訴人に対する俸給は毎月二十一日にその月分が支払われる定めであつたこと及び昭和二十七年四月一日から昭和二十八年四月七日までの控訴人の俸給額が原判決添付の俸給計算書記載のとおりであることは認める。」と述べ、控訴人に於て、「控訴人が昭和二十八年十一月二十一日乙第三号証の解決書により、本件俸給を要求しない旨の意思表示をしたことは認めるが、右意思表示は本件俸給の請求権を行使しないとの趣旨であつて、本件俸給を抛棄し又は之を被控訴人に贈与する趣旨のものではない。右意思表示は、控訴人に於て法律行為の要素に関する錯誤ありたるに因り無効である。控訴人は寄附採納願と題する書面(甲第四号証)により本件俸給を被控訴人に贈与すべきことの申込の意思表示をしたが、被控訴人に於て之に対する承諾の意思表示をしなかつたので、控訴人は右申込の意思表示を取り消したから、本件俸給の贈与契約は成立するに至らなかたものである。控訴人に対する俸給は毎月二十一日にその月分が支給される定めであつた。」と述べた外は、すべて原判決摘示事実のとおりであるから、ここに之を引用する。

(証拠省略)

理由

控訴人が昭和二十三年三月七日から旧自治体警察白河市警察署に勤務していたところ、昭和二十七年三月九日白河市警察長から懲戒免職処分をうけたこと、そこで控訴人は白河市公平委員会に対し不利益処分の審査を請求すると共に右懲戒免職処分取消の訴を福島地方裁判所に提起したこと、控訴人が昭和二十八年四月八日白河市警察長に対し退職願を提出したこと、同年十一月三十日、当時の白河市警察長本内栄蔵が職権で前記の懲戒免職処分を取り消し、更めて控訴人を同年四月八日付で戒告処分に付した上、同日付で依願免職したことは、当事者間に争がない。

そこで、右懲戒免職処分の取消処分の効力について按ずるに、当裁判所は右取消処分は無効ではなく、之を無効であるとなす被控訴人の各主張は、いずれも理由がないと判断するところ、その事実上の認定並びに法律上の見解は、原判決と同一であるから、原判決理由中の記載をここに引用する(但し乙第三号証の解決書記載の約束は後記の如く控訴人、白河市警察長本内栄蔵、同市長中目瑞男の三者間に成立したものと認定する)。右認定を左右するに足る証拠はない。そうすると、右の取消処分は有効であるとなすの外ないから、控訴人に対する前記懲戒免職処分の効果は消滅し、控訴人は昭和二十七年三月九日以降前記の如く昭和二十八年四月八日依願免職となるまで、白河市警察職員たる地位にあつたものとなすべく、したがつて、右の期間被控訴人より月々の俸給をうける権利を有していたものとなすべきである。

しかして、成立に争のない乙第一ないし第四号証(但し乙第二号証は日付の部分を除く)の各記載、原審証人青村鉄太郎、本内栄蔵の各証言並びに当審に於ける被控訴人代表者中目瑞男本人尋問の結果によれば、控訴人は前記懲戒免職の処分をうけるや、前記の如く不利益処分の審査請求を申し立てた外、白河市警察長本内栄蔵を相手取り右懲戒免職処分取消の訴訟を提起したこと、そこで右本内栄蔵及び同市公安委員長青村鉄太郎らは、事態の円満早急なる解決のため、白河市長中目瑞男らと協力して種々控訴人と折衝を重ねた結果、白河市警察長本内栄蔵、白河市長中目瑞男及び控訴人の三者間に昭和二十八年十一月二十一日(一)、警察長は昭和二十七年三月九日付懲戒免職処分を取り消すこと、(二)、警察長は控訴人が昭和二十八年四月八日提出した辞職願を認めること、(三)、控訴人は昭和二十七年三月九日から昭和二十八年四月八日までの俸給は要求しないこと、(四)、控訴人は本問題に関する一切の争訟事件を取下げること、(五)、当事者双方は右の各条項をもつて和解し、爾後この問題についてはなんらの異議なきこと、などの各条項を協定し、右の各条項を記載した解決書と題する書面(乙第三号証)が作成せられたこと、右協定に基いて控訴人は前示の審査請求、訴訟などを取り下げたので、右警察長は同月三十日前記の如くさきの懲戒免職処分を取り消し更めて控訴人を戒告処分に付した上依願免職としたこと、以上の事実を認めるに十分であつて、右認定を覆えすに足る証拠はない。

右の認定事実によれば、控訴人は被控訴人に対し、控訴人に対する前記懲戒免職処分が取り消され、控訴人を昭和二十八年四月八日付で依願免職に付する処分のなされることを停止条件として昭和二十七年三月九日から昭和二十八年四月八日までの俸給請求権を抛棄したものであると認めるのが相当である。控訴人は、控訴人に於て右俸給請求権を抛棄したものではなく単に右俸給請求権を行使しないことを約したにすぎないと主張するけれども、右主張を認めて前段認定を覆えすに足る証拠はない。

次に控訴人は、俸給請求権は公法上の権利であるから、之が放棄の意思表示は無効である旨抗弁するを以て、此の点につき判断する。按ずるに、公務員の俸給をうける権利は公法上の権利であつて、之を放棄することは一般に許されないものと解すべきこと論をまたないところである。そして、その放棄を許さないとなす所以のものは、けだし、公務員は国又は地方公共団体とは所謂特別権力関係にあり、公僕としてその職務に精勤すべき義務を有するものであつて、その俸給は公務員の右の如き地位に基く職務に対する反対給付たると同時に、その地位相当の生活を保障する資料として支給せられるもので、もし之が放棄を許すものとすれば、公務員と国又は地方公共団体との間に存する叙上の関係を破壊し、公益を害するに至る虞れがあるからである。故に右の如き虞れの全く存しない場合(例えば公務員が退職した後に、その退職前に生じた個々の俸給の請求権を放棄するが場合)には、之を有効に放棄し得るものと解すべきである。これを本件についてみるに、控訴人は白河市警察職員であつたところ、昭和二十七年三月九日一たん懲戒免職処分に付せられ、その後昭和二十八年十一月三十日右懲戒免職処分が取り消され同年四月八日付依願免職とせられたが、右の取消処分並びに依願免職処分のなされることを条件として昭和二十七年三月九日から昭和二十八年四月八日までの本件俸給の請求権を抛棄するの意思表示をなすに至つたことは前記認定のとおりであるから、右のような事情の下になされた控訴人の本件俸給請求権の抛棄は、前説示の如く控訴人が白河市警察署の職員たることの地位と矛盾することなく且つ公益を害する虞れのないこと明白なるを以て、之を有効と解して差支えがないというべきである。

次に控訴人は、右抛棄の意思表示は右警察長及び白河市長らの詐欺に基きなしたるを以て之を取り消す旨及び右意思表示は法律行為の要素に関する錯誤により無効である旨各抗弁するけれども、控訴人挙示の全証拠によるも右の抗弁事実を肯認せしめるに足らないから、右各抗弁は理由がない。

そうすると、控訴人のなした本件俸給請求権抛棄の意思表示は昭和二十八年十一月三十日に前記懲戒免職処分が取り消され控訴人を同年四月八日付で依願免職する旨の処分がなされたことにより効力を発生し、控訴人の本件俸給請求権はここに消滅に帰したというべきであるから、控訴人の本訴請求はその余の争点につき判断をなすまでもなく失当にして棄却すべきものとす。結果に於て右と同趣旨にでた原判決は結局相当であり、本件控訴は理由なきを以て棄却を免れない。

よつて民事訴訟法第三百八十四条、第九十五条、第八十九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 石井義彦 上野正秋 兼築義春)

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